「泉」ならどんなところからも出てくれる女神。~立川心療内科マンガ

◆ なぜ便器がアートになるのか?デュシャンの『泉』に見る「認識」の心理学

マルセル・デュシャンの『泉』という作品をご存知でしょうか。
男性用小便器に「R.Mutt」という偽名の署名をしただけの、美術史に残る衝撃的な作品です。
ただの既製品が、なぜ20世紀で最も影響力のあるアート作品の一つとして評価されているのか。

そこには、人間の心理と認識を巧みに利用した仕掛けがあります。

◆ 「場所」が意味を決めるフレーミング効果

心理学に「フレーミング効果」という言葉があります。
物事の提示のされ方や枠組みが変わると、受け手の印象や意思決定が大きく変化する現象です。

便器がトイレに設置されていれば、それは単なる「用を足すための道具」として認識されます。
しかし、美術館の台座の上という「アートのための枠組み」に置かれた瞬間、脳は混乱します。

「美術館にあるのだから、これは鑑賞すべき対象なのだ」

脳が勝手に意味を見出そうとし、便器の曲線美や質感を観察し始めます。
デュシャンは、物理的な形を変えずに、置く場所を変えるだけで、物体の意味を書き換えてしまったのです。

◆ 脳の「スキーマ」を破壊する

さらに人間は無意識のうちに「スキーマ」と呼ばれる思考の枠組みを持っています。
アートに対しては、「美しいもの」「作家が手で作ったもの」「崇高なもの」といったスキーマがあります。
『泉』は、このスキーマを真っ向から裏切りました。

「汚いもの」の象徴である便器を、「神聖な場所」である美術館に持ち込む。

この強烈な違和感が、人々に「そもそもアートとは何か?」という問いを突きつけました。

既成概念が破壊されたとき、人は初めて自動的な思考を停止し、深く考え始めます。
この「思考すること」自体を、彼は作品の一部にしたのです。

◆ 重要なこと

『泉』が教えてくれるのは、物の価値は絶対的なものではないということです。

汚い便器でさえ、見方を変えればアートになり得ます。

日常の退屈な風景や、厄介なトラブルも、視点というフレームを掛け替えるだけで、全く別の意味を持って見えてくるかもしれません。 世界を作るのは、対象物そのものではなく、それをどう見るかという私たちの「心」なのです。

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。

(完)